突然ですが、表題「期待しない」は今年の目標です。
これは主に家族に対してです。
目標に掲げるにはいささかネガディブな言葉だとお思いかも知れませんが、
ずっと、考えていたことです。
例えば、子どもならば親に期待されなければ悲しむだろうし、
期待されないということは、見込みがない、と見放されるという意味に捉えられることが多いと思います。
私は、見捨てるという意味で「期待しない」という言葉を使っているのではありません。
当然、気に懸けますし、出来るだけそばにいるように心がけますし、
矛盾するかも知れませんが全く期待しないということは不可能だとも思っています。
ただ、出来るだけ期待しないように心がけようということです。
こうなって欲しい、こうして欲しい、これはやっておいて欲しい。
時に期待は「押しつけ」に代わり、「甘え」を産み出し、
裏切られたとき、怒りに転換されていないでしょうか?
ならば、過度な期待などせず、失敗したときに受け入れてあげる覚悟を持っていた方が
良いのではないかと考えるのです。
直接関係ないかも知れませんが、吉野弘の詩『祝婚歌』にこんな一節があります。
『互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい』