大学の時、中学の頃のYという友だちと再会した。
その頃、就職活動をしていて、自然とそんな話になる。
Yはぼそりと言う。
「オレ、プロ野球選手になりたいって気持ちをまだ、捨てられないんだよね」
Yは、中学校の時は剣道部で、高校に入り野球部に入った。
甲子園は遙か遠いありふれた野球部。
Yはそこでレギュラーにもなれなかった。
プロ野球選手になるということは、まさに夢物語だったのである。
あれから、20年経ち、どういうわけか最近Yの話を思い出す。
正直、私はYの話を聞いたときに愚かだと思った。
「チケットもないくせにバスに乗ろうとしている」と、さえ思った。
しかし、今は何となくYの言動を愛しく感じる。
愚かだという気持ちは変わらないが、愚かさが愛しい。
年を経るごとに、愚かになれない。
蓄積されたプライドだけで、何とか踏ん張り立ち続けることしかできない。
プライドが剥がれたら、驚くほど脆い自分がいることを自覚している。
どこかで、バランスを取らなければならない。
だから、私はYの言葉を思い出す。
Yがあのときに言っていた「プロ野球選手になる」ということと、
私が、「人気作家になる」ということは、同じようなことだと思う。
新人賞には、1000~3000の応募があり、
そこで、賞を取れたとして1年で30人~40人は受賞者が産まれる。
その中で、人気作家として活躍している人は、何人いるだろう?
1年で一人出てくればいい方である。
まさに、途方もなく低い確率である。
しかし、心のどこかでYの言う「プロ野球選手になりたい」という気持ちを忘れたくない。
例え、愚かでも目指さなければ、何も始まらないから。
プロ野球選手になることには期限があるが、
幸い、作家になることに、期限はない。
ちなみにYは、結局警察官になった。