まごころの正体

先日、トイレで一人いきんでいたときに妙なことに気づいた。

それは、トイレットペーパーの芯に「ありがとうございました」と判が押されているのこと。
実に地味である。

加えて、その判を押すためにラインに一行程付け加えなければいけないことを鑑みると、
この「ありがとう」がなければもう少しこのトイレットペーパーも安くなるわけである。

ほんと、生産性がないね。

と、私は冷ややかに吐き捨てた。

それから、数日後、薬局の店頭であるポップが目に入った。
そこには『芯なしトイレットペーパー』と、書かれている。
芯がない、ということはゴミの減量にもつながり、エコにもつながる。生産コストもそれだけ安くすむだろうし、実際、そのトイレットペーパーは安かった。

しかし…
そのときふいに、私の脳裏にあの「ありがとう」の文字が浮かんだ。
何の生産性もない、雑な判で押された「ありがとう」の文字。
芯がなければ、きっとあの「ありがとう」に触れることなく、くるりと手の中に最後のロールが巻き付くんだろう、と。

なんとなく寂しかった。

そう考えると、あの無意味に思えた「ありがとう」がとても素敵な言葉のように思えてきた。

きっと、まごころなんてものは生産性や合理性なんてものとは反対方向にあるものなんだろう、と思った。

そういうものの価値がわかる人間でありたいな。

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