米澤穂信の「王とサーカス」を読む。
本屋大賞にもノミネートされている作品だ。
あらすじは、本を読んでいただければと思うのだが、
「王とサーカス」という謎めいたタイトルの秘密についてちょっと触れたい。
舞台はネパール。
ネパールで実際に起きた王宮銃撃事件がベースとなっている。
現地で取材をしていた主人公が真相を探ろうと軍人に接触。
その軍人が主人公に言った。
「お前はサーカスの座長だ。お前が書こうとしているのは、演し物だ」
日本人のほとんどがネパールのことなど知らない。
王制を敷いていることすら知らないだろう(現在は、王制は廃止されているらしいが)
しかし、刺激的な事件があれば、飛びつく。
まさに、興味本位で、である。
それが不幸であるならば尚更だ。
我々は知らず知らずに人の不幸を探している。
時に、不幸な者を糾弾し、時に同情する。
結局は同じことだ。
サーカスが見たいのだ。
要するに、舛添もベッキーもサーカスの演し物に
されてしまったのだ。
事の詳細や善悪はさておき、そういう見えざる手の存在を我々は忘れてはならない。
そして、私は今、報道の現場にはいないが、
1人の制作者として、肝に銘じなければならない。
伝えるということの本質を。
読後、身につまされる作品だ。