師匠・猪俣憲吾先生が亡くなって、10年が経つ。
先生は、シナリオライターであったが、
自分の文章力に自信がなかった。
なぜだか、私の文章力には一目置いてくれて、
「僕は君のようにうまく書けない」
と、言うくらいだった。
ところが、本当はそんなことはなかった。
先生の盟友・鴨居先生が亡くなったときに、
シナリオ誌に追悼文を寄せている。
その文章が秀逸で、先生らしい愛情にあふれている。
私は、先生を思い出すとき、その文章を読み返すのだ。
先生は、あのたった4ページの文章を書くために、
何ヶ月もかけた。
鴨居先生のシナリオを何冊も読み、ドラマを何本も観た。
先生は、言っていた。
「鴨居が生きていたときには、彼のドラマなど観なかった。
改めて観てみると、ああ、プロだったんだな、と思うよ。
すごい人間ドラマ書いていたよ」
私たちにはこんな風に語っていたが、その気持ちを文章には、こう表現している。
『彼は以前、こういうことを言っていた。「桜の樹は咲いて見て、ああ、あそこにも桜の樹があったんだと気づく」彼の名言の一つだ(中略)「いのちの現場から」は、わたしが見つけた桜の樹だ』