「普通」の難しさ

ファミレスでご飯もそこそこで走り回る我が娘を回収しながら、

ふいに、周りを見回すと娘と同じ年ごろの子供達がおとなしく食事をしている。

私は思わず娘に「見てごらん。ご飯中、走り回っている子なんて一人もいないよ」

と、娘に諭した。

奥さんは半ばキレて、「帰ろう!」と、荷物をまとめる。

お金を払い終えると、娘は店員にニコニコ笑って、

「バイバイ、ごちそうさまでした」と、元気に挨拶。

二人して声を揃える。

「そういう事はできるんだよね」

 

たしかに、こんなはっきり挨拶が出来る2才1ヶ月の子の方が少ないだろうと思う。

ただ、親としては最低限普通の事が出来るようになって欲しい、と思ってしまう。

 

結構、この普通って難しい。

時折、「普通」に押し込めてしまっているのではないか、とも考えることすらある。

 

自分に立ち返ると、やはりそうだったようにも思う。

普通の事ができない。

だけど、自分が簡単にできることが、実は普通じゃないということに気づくときもある。

 

考えが堂々巡りして答えはないのだろう、と思うのだが、

今のところの結論として、「普通」をしっかり教えることが大切なような気がしている。

押しつけるのではなく、「教える」

それから、「普通」からちょっと違う考え方をしてみたりすることだって出来るし、

みんなと同じようにしようと考えるかも知れない。

 

その選択をするのは、娘自身である。

 

ただ、一つ思うのは、

「普通」を疎かにしたり、侮ったりして欲しくない。

結構、「普通」は偉大である。

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