一体人間は抑止力がなければ、抑止できないものなのだろうか?
例えば、日本が一切の防衛権を放棄し、
自衛隊もアメリカ軍もこの国からいなくなったならば、
近隣諸国、あるいは、テロリスト達が真っ先に攻め込んでくるだろうか?
いや、そんなことをしたら、国連や同盟国が報復をしてくるから、
やめておこうと思うかも知れない。
しかし、それは抑止力が効いているということになる。
例えば我々の生活で考えれば、
悪いことをすれば、牢屋に入れられ、社会的制裁を受けて、
死刑になる事だってある、と思うから犯罪を抑止しているのか。
残念ながら、考えるとやはり抑止力で我々の社会は成り立っていると思わざるを得ない。
残念ながら、と言ったのは、理想を言えばそんなものがない方が
良いということだ。
誰もが理性と人格のもと、他者を尊重し理解し合える社会が実現すれば、
こんなに素晴らしいことはない。
ただし、それが現時点では単なる理想でしかないことを我々は知っている。
私は自他共に認める平和主義者だ。
戦争は絶対におこしてはいけないと思っている。
だからこそ、この抑止力に変わるものはないか、とずっと考えているのだ。
集団的自衛権に反対している、野党の皆さまに代替案が示せるならば、
迷わず私の一票を投じようと思う。
しかし、私の知る限り、そんなものはない。
反対だけならば誰でもできる。
問題は、こうした議論が全くなかったということだ。
まさに、国の形が変わるような大変革にも関わらず、
政府は閣議決定でこのことを決めた。
集団的自衛権である。
例え、答えが同じでも、
過程をごまかせばそれは全て絵空事になる、と私は思う。
ただ、現時点での答えはこれしかないという、切ない現実が、
新聞の論調を二分させている。
結果と過程を混合させるべきではない。
それが、民主主義というものだ。