先日、愛犬・クリ子が亡くなりました。
クリ子は、奥さんの実家で飼っていた犬で、
亡き義母が体調を崩したことにより、我が家で引き取りました。
私は、小さな頃から犬を飼ったことがなく、
私にとって初めて飼う犬でした。
血統書付きのトイプードル、クリ子。
飼ってすぐに感じたのは、「犬ってこんなに頭がいいのか」ということです。
犬だから当然、こちらの言葉が分からないはずなのに、
「絶対、分かってるだろう」と思う瞬間は多々ありました。
例えば、私が出張に行く前に「行かないで」とばかり甘えてきたり、
別の犬の話をすると、嫉妬するように吠えたり…
数え上げたらキリがありません。
クリ子には驚かされることばかりでした。
反面、もちろんですが、犬を飼うということは手間の掛かることです。
トイレの始末や、留守番の時も気を遣いますし、
いつでも、通れるようにドアも開けなくてはいけません。
夜は、踏まないように気をつけたり…
そういういろんなことが、大変だな、煩わしいな、という想いは、
正直ありました。
ただ、その煩わしさが、クリ子が生きている証であり、
それがなくなった今、開放感は微塵もなく、寂しさだけが募るのです。
クリ子がいなくなったとき、
自分を支えてくれていたものが、なくなったということが実感として分かりました。
それは、奥さんでも子ども…他の家族で代用できるものではなく、
クリ子にしかないもので。
存在は小さく、わずかな支柱だったと思うのですが、
確実に存在していたものがなくなってしまったのです。
如何ともしがたい喪失感に苛まれています。
言うまでもなく、私以上にショックを受けているのが奥さんでした。
亡くなった当初は、ずっと泣き続けていました。
しかし、強いのは娘です。
奥さんに向かって、「泣くな!」と叱責するばかりか、
家事や育児が滞ると、
「生きている人間のことも考えて!」と一喝。
本当にこの子は6歳なのだろうか…と我が娘ながら驚きを隠せません。