直木賞を獲った辻村深月の出世作。
たしかに、直木賞を獲った「鍵のない夢を見る」に通じる世界観を感じた。
私は基本的にこの作家のファンなので、
この世界観を見せられれば例外なく賞賛する。
私が好きなのは彼女はしっかりとエゴと向き合っていることだ。
それでいて、エゴで満ちた世界の中にある光を探すことを
忘れていない。
だから、これだけ胸くそ悪い人物が登場しても、
胸くそ悪い読後感にならないのである。
(ここからはネタバレの可能性もあるのでご注意)
この作品、映像化されていないのかな…と調べたところ、
2012年に映像化を巡ってNHKと揉めて頓挫したらしい。
脚本を担当したのは大森寿美夫。
当代きっての脚本家で向田邦子賞も取っている重鎮である。
とんでもないわがままを言ってぶち壊しにしてしまうとは、正直考えずらい。
私は双方の揉める原因となったものは何だったのか、
過去の記事を読み漁り探ってみた。
すると、二つの事実が記事から分かった。
・主人公みずほと母親が会うのが早すぎる
・みずほの母が虐待を自覚していたシーンがカットされている
この部分が作者の逆鱗に触れたらしい。
ざっくりとあらすじを書くと、
みずほの幼い頃からの親友・チエミが母親を殺して失踪した。
みずほはチエミとの幼い頃の約束を思いだし、彼女を探すことを決意する。
ということ。
みずほがチエミを探す過程の話が中心に描かれている。
チエミの家は、母と子が密着しすぎるほど仲がよい。
対して、みずほは経済的には恵まれているが、幼い頃、母親に虐待されていたという過去を持っている。
みずほがチエミを強く意識する背景には、
仲の良いチエミ親子への憧れも大きな要因として挙げられる。
だから、作者としては、みずほが虐待をされているというのは、
絶対に外せない要素だったのだろうと思う。
しかし、みずほの虐待の話に対しては、
明確な救いがないのである。
殺人を犯したチエミにすら救いがあるのに…
全くの推測だが、脚本家の大森さんとNHKは、
この部分に違和感を感じ、改訂したのではないだろうか。
小説の世界では、積み重ねていくエピソードの中で、
虐待を受けながらも、みずほは強くたくましく生きて、
彼女なりに大人として自立していく姿が描かれている。
虐待に答えを見いださないのは、よりリアルであるとも言える。
安っぽい和解など現実世界ではあり得ない。
ただ、その上でも公共の電波に乗せるテレビドラマを作る上では、
何らかの帰結を見いだしたかったのではないか、
もしくは、それができないならば、虐待のトーンを弱める必要があったのではないか。
なぜなら、虐待をしている人やされたことのある過去を持つ人達が
このドラマを観たときに、結局、傷は癒えることがないのだという
絶望感を抱く懸念を回避したかったのではないか。
と、私は考えた。
話し合いは何度も持たれたのだろうが、
クランクイン間際でドラマがお蔵入りになったのは、残念でならない。
NHK、講談社、双方が作家と脚本家の間をうまく立ち回り、
お互いの意志をしっかりすり合わせる作業をして欲しかったと感じた。
が…誰の責任でもない気もしないでもないけどね。